休む日、歩く日、行き交う日。

つれづれなるままに 好きなものを語ったり、自身の生き方を綴ったりするブログ。

二次元語り、ものづくり、雑多なテキスト類

ブログ放置していた間の事と、適応障害の自分。

お久しぶりの更新です(前回記事が2019年とは)

更新していない間ずっと仕事が忙しく、コロナもあってごぶさたしておりました。

備忘録はツイッターとslackで事足りているので、はてブどうしようかな…と思っていたのですが、戻ってきました。

 

近況ですが、今の職場でも適応障害を発症しました。

発症したというか、自分が適応障害という病気だということを甘く見ていた。

結果、仕事の大事な時期にぶっ倒れて休職状態になるという。

復職については今も職場と交渉しているところです。

 

現状の服用状況

・レクサプロ(サインバルタから移行) 20mg

・プロチゾラム0.25mg

・リーゼ(頓服)5mg

あと婦人科でPMS対策にもらってるピルを服用中。

 

休職することになった原因

端的に言えば業務を背負い込みすぎました。

パートの方が多い職場でフルタイムで働いていたため、休日出勤や残業もそこそこに引き受けていたこと。

それでも終電続きとかいう程ではなく、定時上がりの日々も多かったんですが、周りが困っていると、自分の許容量を超えても手伝わないと…!という使命感に駆られて無理をしました。

なぜなら役職を引き受けてしまったからです。

外部と交渉するのとかスケジュール立てるのは楽しかったんですが、不測の事態に遭遇した時に対応できなかった。

加えて今年は担当業務の法律的な制度改正があったり、コロナでシフトを見直さざるを得なかったり…、で、現場も日々混乱しながら自転車操業する状態。

緊急事態宣言が出るか出ないかという3月末の時点では、毎日眩暈や難聴状態であったものの、今1日でも休んだらヤバイ、納期がずれて大変なことになる、といったプレッシャーが続き、なんとか奮い立たせながら出社する日々でした。

そんな状態で仕事をしていたものだから、クオリティはぼろぼろなわけで。ある日致命的な不備を上司に咎められ、休日出勤して間に合わせるよ!という事態になったときに、ぷつんと糸が切れてしまいました。

 

もう働けない。

 

自分は案外「できない」人間なんだ。

 

一気に抑うつ症状が出てきてしまいダウンする羽目に。

そもそもそうなる前に人員や業務量の見直しをもう少し提言していれば防げた話です。

しかし私は「他の部署もカツカツだから頼れないだろう」「自分が背負い込めば何とかなる」と甘く見積もり、結果的に自分の身体も壊すという事態になってしまいました。

それでも今の職場の仕事内容はすごく好きで。だからこそもっと良くできるよね、とか

あれこれ模索していたのですが、それも空回りだったんだろうか、と疑心暗鬼になってしまいました。

 

そもそも何に対する「適応障害」なのか?

doctorsfile.jp

私が適応障害と診断されたのは2年ほど前です。

当時は小さな会社で未経験で経理事務に飛び込むという、今思うと無茶な暴挙をかましていました。

その結果どうしても仕事についていけなくなり、適応障害の診断書をもらって退職、傷病手当金を受給しながら再就職に至りました。

そこからも若干転々とはしているのですが、今回の事があるまで、私はそもそも適応障害のストレス因子を誤認していたのではないかと思います。

 

今まで→会社や職場環境の気風が合わないことがストレス因子

実際→自分の処理能力を超えた状況そのものがストレス因子

 

つまりは今回、繁忙期や不測の事態から「身を守る」術が不十分であったことから、余計なストレスを背負ってしまったために起こったのだと。

 

今後どうするか

とりあえずは時短勤務でも復職可能かを検討しているところです。

が、正直ものっすごい怖い。繁忙期投げ出して丸投げ状態で戻るわけだから。

幸い、当座の貯金はあるので即生活に困るという事はないのですが、新しい仕事を探すエネルギーが持てるのか?そもそも採用されるのか?etc不安で仕方ない。

まったく働かないという選択肢はないので、ハロワとかいろんなサービスを頼りながら社会復帰していきたいとは思いますが、コロナの終息が見通せない中、そもそものワークスタイルを変えるべきなのか…

頭で考えだすとキリがない状態です。

それでもやっぱり、自分のできる事をやっていきたい。

そう思いながら処方薬を飲みつつ、いまは身体を休めています。

あと、あつ森をやることで生きてる感じがする!

毎日化石掘って花植えて住民に挨拶して、そんなルーチンワークがとても満たされる。

 

あ、来月はやっと遙か7の発売です!!それも楽しみにして生きていこう。